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家族の絆こそ誇り②

投稿日:2019年8月15日 カテゴリー:【八木原】


社員旅行もハワイ3回、グアム1回と海外へ行く事が出来た(昭和52年)

家族の絆のはじまりは井口敏子との出会いと結婚である。 敏子は埼玉県深谷市で生まれた。昭和15年7月2日、私と同年の生まれだ。父がトップ商会の増田専務と知り合いだったことから、敏子は私の1年後に入社した。トップ商会では住み込みで、社長宅の家事手伝いから始まり、伝票整理や経理の仕事をやっていた。やがて私がトップ商会を辞めて独立したいという意思を持つようになるとその気持ちを理解してくれた。昭和40年12月21日、私はトップ商会を辞めた。この日敏子は長女を出産した。私が 「今日会社を辞めたよ」 と電話で告げると彼女は絶句していた。それはそうだろう、明日からの生活費はどうなるか不安でいっぱいだったと思う。私は 「名前は、俺の保を取って美保とする」 と告げた。 敏子は、私が原宿で創業して以来、3人の娘の子育て、住み込み店員の食事の世話から経理の仕事と、一人3役を務めた。夜遅くまで出荷伝票の整理や経理の帳面付けをやってくれた。ジムが次第に大きくなるにつれ経理業務も重要となっていったため、経理担当役員として長い間私をしっかり支えてくれた。地域社会での人間関係が生まれるにともない、家族ぐるみのお付き合いの機会も増えていった。子育てが一段落すると、社交的にも活発に動いてくれた。ジムの経営も地域社会での活動でも、常に私を支えてくれた。
私の人生の生きざまは、決してスマートではなかったが、絆を大切に、人との出会いを大切に、心の通い合う人間関係を大切にしてきた人生を誇りに思っている。その原点は妻敏子との夫婦の絆ではなかったかと思う。