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私が作りたかったのは地域と皆とともに歩むそんな会社でした①

投稿日:2019年9月17日 カテゴリー:【メディア八木原】


2017年4月号 MADURO にて八木原インタビューのご紹介

本紙で総合監修を務める板倉氏の人脈を辿り、様々な業界のトップと対談する連載企画。第11回となる今回は、ニット専業メーカーとしてだけでなく、様々な取組みで原宿の今を築くための下支えを行ってきた、株式会社ジムの会長・八木原 保氏をお迎えします。
板倉氏(以下敬称略)50代以上のやんちゃジジイをターゲットにしたマデュロにとって、原宿は縁遠い場所ではあります。しかし、それでも八木原会長のお話をぜひ読者に聞いてもらいたいと思い、連載はじまって以来、初の4ページで掲載させて頂きます。
八木原氏(以下敬称略)それは嬉しいです。よろしくお願いします。
板倉 まずは、会長ご自身の経歴についてお聞かせ下さい。
八木原 東京に出てきたのは18歳です。浅草橋のニット会社で、まぁいわば丁稚のような感じでしたね。
板倉 その頃から、ニット産業で身を立てようと?
八木原 いえいえ、当時はそんなこと何も考えていませんでした。仕事を選べるような時代ではなかったですし、わけもわからず、ただ就職した先がニット屋さんだっただけです。ただ、当時浅草橋ではニット業が盛んで、数十軒も軒を連ねていました。また、当時ファッション産業の中心地は日本橋周辺でした。銀行なども、同地周辺の支店長を務めるのは、将来の役員候補でしたから、とても華やかで賑やかな街だったんです。
板倉 そんな中で、ニット業のノウハウを学んでいったんですね。
八木原 作りや流通と同時に、経理についても学びました。働きながら、簿記の学校に通わせてくれたので、そこで数字を見ることを覚えました。ニット製品は、材料から製品になるまで、すごく時間が掛かります。だから数字の管理をちゃんとやらないと、損出が出てしまう。右手はペン(デザイン)左手はそろばん。感性だけが先行しがちなファッション業ですが、この両方ができてこそ、はじめてビジネスとして成立します。

②に続く